何処かに出かける際、母が着ていた古い古い着物を引っ張り出しては着せてもらっておりました。
軽い自我が生まれて着物を自分で選ぶようになったのは、義母に着付けを習ってから。
下手なりにでも自分で着るようになると、自ずと着物の枚数も増えていきます。
あれほど気に入っておりました母の着物も、登場頻度は激減、いや、皆無となってしまった昨今。
母の着物への感謝も込め、もいちど日の目を見せてあげたいものです。
母の許可を得て拵えて頂きました。
ほどいて頂き、着物にぴったりなかぶせ型バッグと数寄屋袋を作って頂きました。
数寄屋袋にはもうひとつ秘密が。
祖母はお裁縫上手な人でした。
私の小さい頃の長襦袢や七五三の着物をほどき、つなぎ合わせて大人用の長襦袢を作ってくれたのは私が中学生くらいの頃だったかしら。
今は亡き祖母が作ってくれた継ぎ接ぎの長襦袢、着付けの際に見ず知らずの美容師さんたちの目に晒すのはまだ子供だった私にはなかなか勇気の要ることでした。
こんな見っともない貧乏くさい長襦袢、とっとと捨ててしまえば良いのに、正直ずっと思っておりました。
でもね、この歳になるとこれが愛おしくなるものです。
捨てずにとっておいて本当に良かった、と。
ですがそこはやはりの住宅事情、そして私も50歳目前。
身の回りの整理も徐々にせねばなりません。
祖母の長襦袢もほどいて頂き、数寄屋袋の裏地にして頂きました。
お願いした方がとても良い方で、本当に良くして頂き、大満足の仕上がりです。
ちなみに数寄屋袋はふたつオーダーし、ひとつは母のリタイア記念にプレゼント。
そして抜群のタイミングで、昨年から楽しみに致しておりました神韻 (シェンユン) 芸術団、昨日の名古屋公演の前日に私のもとに届きました。
母の着物のリメイクバッグ、早速のデヴューです。
評判を聞いて主人におねだりしたのですが、ちょっと内容には驚きました。
中国共産党と法輪功へのメッセージ色が強過ぎて、途中からちょっと私たちがここに居てはいけないような気にすらなってきたのが言ってはいけない本音であります。
もちろん主人から丁寧な説明を受けて把握したのが殆どですが、うーん、舞台そのものはとても素晴らしかった分だけ、ちょっと・・・軽々しく意見してはいけないことですけどね。
芸術的要素にあまりにあからさまな政治的批判を取り入れるのはちょっと、というのが内緒の本音。
でも演出も含めた技術は本当に素晴らしかった。
そんな神韻芸術団の開演までの待ち時間、来月に迫った旅行用のお洋服を買いにいこうと主人。
着物を着ていようが問題ではありません。
淡いピンクのワンピース、それにぴったりのコットンのロングカーディガンを買ってもらいました。
試着なしの小さな冒険。
来月の旅行、飛行機での服装はこれで決まりました。
そんな訳で、2月の幕開けも上々でした。
バッグと数寄屋袋、角度をほんのちょっと変えてもう一枚。
母のリタイア記念には、別の着物をほどいて普段使い用のバッグを作ってもらいました。
これは兄と妹、3人からのプレゼントに。
ずっと働いてきた母、リタイア後の今は何をしていることやら。
今、母を通り越して祖母の羽織を私用に仕立て直してもらっているところです。